誰かの為に生きなければ価値がない私

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私の周りには、優しく、頭がよく、あたたかい人たちがたくさんいる。

私はいつも、ひとりで奮闘し、変なこだわりがあって、ぐずぐず、めんどい人間で

そんな私をいつも、そっと見守ってくれてて、時に支えてくれている。

まずは、そんなみなさんにブログから間接的にではありますが感謝の気持ちをお伝えさせてください。

いつもありがとう。

自分にはないものをたくさん持ってる優秀な人たちに応援され、認めてもらえることは嬉しい。

でも、同時に

自分以外にこの活動に相応しいのは、この人なんじゃないかな?

私なんかより、絶対頭がいいし、素敵な文章を書けるし、あたたかいし…

でも、みんな自分の人生を楽しむことに忙しいみたい。

それが、またステキ。

そんな素敵な人に「かなさんは自分の好きなことで生活してて羨ましい」

そういって褒めてくれると、

なぜか違和感が…

褒めてくれてるし、認めてくれてるのだけど

「本当に好きな事をしている」という実感がなくて…

なんで???

うーんうーん

1年以上、ひたすら自分に向き合い、出た答え…ちょっと長くなるけど書く。

「誰かの為に生きなければ、生きる価値ナシ」

kindle「アトピーの悪化原因」で書こうと思って、長くなるから消した内容。

街録でもカットされた内容だったかな。

小学生1年生から、さっそく登校拒否だった。

いじめや仲間外れ、おとなの前と友達の前で豹変する同級生が怖かった。

集団行動がそのころから苦手だったな。

家族からは引きこもりになるんじゃないかと心配されてたし、田舎のおばあちゃんの家でしばらく住んでいた時もあった。

親や2つ上の兄は外で色々言われてたようだった。

人に迷惑をかけていることから、申し訳なく思っていた。

小学校4年生で、学校に行きだした。

それでも週1回くらいは休むし、高校は昼から登校したし、遠足は怖くて行けなかった。

(学年全体で、バスに乗って学校のバレー部の応援に行く日に、学校まで行きかけて、途中でUターンしてイオンへ逃げた。友達からは「何でこーへんのー?」と電話きた記憶がある。友達いがいても、学校行くより遠足とか修学旅行が本当に嫌だった。)

高校も途中で編入して私立の単位制の学校にさせてもらったり…

私立の単位制に行くのに、お金がかかったと思う。

中学からはアトピーにも悩まされていたから

幼少期から心身ともに健康で、友達もたくさんいて…という「ふつう」「理想の子供像」から、ひたすらはみ出ていた。

「私は誰かに、いつも迷惑をかけて生きている」

小さいころから、そんな気持ちをずっと持ち続けていた。

だから責任のある仕事を任されるのはすごく嫌だった。

班長、学級委員、文化祭の実行委員、ダンスの応援団…

いいな~って思うけど目立つのは苦手。

責任がある仕事も苦手。

バイトもコロコロ変えていて、継続して同じことを続ける事が苦手だった。

自分はいつも誰かに迷惑をかける。

急にアトピーとか、気持ちが落ち込んでとかで、動けなくなることがあったから、調子がいいのは、たまたま。また人に負担をかけるかもしれない。

いつもヘラヘラ不真面目そうにふるまって、責任のない仕事を選んできたように思う。

「誰かの役に立ちたい」

昔、アトピーの脱ステブログを書いていた。

その当時は脱ステでアトピーを治して、アトピーが治る方法を広めるんや!と思っていた。

自分でサプリの成分や、食べ物、化粧品の成分を調べまくって、それをブログに書いてたけど、なんか頑張れてた。

アトピーで困ってる人の役に立つことで、自分が生きる意味を見出してたように思う。

それが今の活動の起源なんじゃないかな。

人の役に立てなければ、価値がなかった。

「人の役に立つこと」が生きる意味で

誰の役にも立てなければ自分の価値はないと思っていた。

この価値観に気付いたのは、ごく最近。

もともと、自由奔放でわがままで気分屋だから、好きに生きているつもりだったけど、実はずっと、心の奥底に、この価値観が呪いのようにへばりついていた。

「かなさんは好きなことして羨ましい」にモヤモヤする理由?

誰かの役に立つ為、誰かが助かるために全部を選んできた。

YouTubeを始めたのは「YouTubeの方が信頼度が高いから」

顔出ししてるのは「顔出ししてる方が目立つから」

インスタやTwitterは「集客に必要なツールだから」

すべてに、理由があった。

(まぁコレがマーケティングってヤツで、うまくやれる人はいいんだろうね。いつも複雑な心境だったのは、アトピーが自分の体や心と表裏一体みたいな所があったから割り切れなかったのかも)

動画も作っては「コレ意味あるかな」「誰もお前に興味ないやろ。」って撮っては消した。

人のためって美しく見えるかもだけど、私自身は、自分を犠牲にしてた。

いつも他人の言動に一喜一憂するし、しんどくて、心が不健康だった。

1日中働いて痩せていたし、いつも生き急ぐような焦りでイライラしてて、自分の人生を大切に出来てなかったなと思う。

(本心から人のためだったのではなくて、本当の本心は、自分の価値が欲しいための”人の為”だった)

自己表現は好きだし、人の役に立つのも好き。これからは自分軸で。

つらつらと暗い分を書いたけど、私はこうやって自己表現をするのは好きみたい。

とくにブログ。文章。

Youtubeで喋るのは本当は苦手。

口から出た言葉は、いつも何か足りない気がして、色々つけ足したくなったり

言いすぎたかも、表現が違うかもって、切り取ったり、わからんくなるから。

でも動画作るのは楽しいし、うまくできたら自己満で嬉しくなる。

人の役に立てるのは好きだし。

色々調べたり、考えたりするのも趣味みたいなもんかも。

自分の技術や知識で、人がきれいになって喜んでくれるのも、嬉しい。

わたしは自分がきれいになるのが好きだし、色々、自分なりに調べて考えて答えを出すのも好きだ。

きっと「誰かの為」という他人軸になっていたから苦しかっただけ。

他人軸だと、誰から、どう思われるか?を考えてしまって、どんどん自分がわからなくなった。

自分が好きな形で、自分がやりたいように出来るなら、きっと楽しい。

これからは自分軸。がテーマ。

自分の人生を楽しみすぎて、忙しい人になりたい

わたしのまわりにいる本当に素敵な人たち。

自分にはないものをたくさん持ってる。

心が美しくポジティブ。

わたしはへドロの様な気持ちになるから、わたしよりも、もっとふさわしい人たちがいるように見える。

でも、わたしが素敵だと思う人たちは、みんな自分の人生を楽しむことに忙しいみたい。

羨ましいな、こんな人になりたいな。

いつも羨ましく見ていた。

「羨ましいなら、マネすればいいじゃない。あなたも同じようにすればいいのよ。」

田中みな実ちゃんが、言った言葉。

そうそう、羨ましいなら、マネすればいい。

私も、憧れている人たちみたいになろう。と、コッソリ決めている。

以上。かなちんでした。

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